teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ]


保育指針研究会

 投稿者:angel  投稿日:2009年 1月26日(月)19時08分9秒
返信・引用
  連盟から文書が届いていると思いますが、指針研究会の掲示板のお知らせです。
パスワードがわからない場合は事務所までお問い合わせください。
よろしくお願いします。

http://0bbs.jp/hoikusisin/

http://0bbs.jp/hoikusisin/

 
 

(無題)

 投稿者:makky  投稿日:2008年 7月 7日(月)15時14分2秒
返信・引用
  なかなか大変なようです。
保育指針改定に伴い改革派が大攻勢をかけているようです。

保育指針に沿った保育をしている保育園がどのぐらいあるのか根拠が示せないようです。
根拠をどうあげていくかというのも我々の課題ですね。我々自身がマスターベーションで終わっているのでしょうね。
 

保育所の認可基準緩和 厚労省、面積規制を撤廃へ

 投稿者:makky  投稿日:2008年 7月 7日(月)15時00分14秒
返信・引用
   厚生労働省は国と地方自治体が運営費の一部を補助する認可保育所について、設置基準を約60年ぶりに緩める方針を固めた。子供1人当たりの面積基準を撤廃し、その代わりに設ける新基準を都道府県の判断に委ねる。認可保育所はいまの面積でも受け入れ児童を増やすことが可能になり、無認可保育所は認可を得て補助金を受け取りやすくなる。認可保育所の入所待ちをしている「待機児童」の解消を狙う。

大変です。名古屋の行政はどう動くのでしょうか?

 厚労省は自治体関係者や保育所経営者らが参加する有識者研究会を発足させた。関係省令の改正を検討し、2009年度からの実施を目指す。
 

陪審制度?

 投稿者:mizuhiro  投稿日:2008年 1月31日(木)18時29分6秒
返信・引用
  「裁判員制度」に明るくないので、よくわかりませんが、「陪審員制度」に近いものなんでしょうか?(勉強不足です、スイマセン…。)
陪審員制度に近いものとして、答えさせていただくなら、この制度は国民性にあっていないでしょう。
日本人は「右にならえ」の傾向があるので、もっともらしい意見に多数が共感してしまうとその意見が”結果"になります。
私も(一応)法学部を出たので、なんとなくわかりますが、法律なんてものはどうとでも解釈できるものです。
(でなきゃ、裁判で争うなんて行為自体成立しない。)
要はいかに相手を言いくるめられるかにかかっているのです。
ちゃんとしたルールなりを作らないと、冤罪事件が半端なく生まれそう。

で、「子どもの遊び」に関しては、私も外で遊ばせてあげたい意見です。
が!、今の世の中難しいですよね、一緒に外で遊んであげられる大人がいないことに問題もあるんではないでしょうか?
僕達の、いわゆる団塊の世代のJr以降の世代が親になってきていると思います。
この世代は一人っ子が多く、自分自身が親と外で遊ぶことが少なかったものと思われるので、遊び方がわからない。
うちらの子ども時代には外でしか遊ぶものがなかったように思います。
大人たちが外で遊ぶことの楽しさを理解しなければ子どもたちに外で遊ぶことの素晴らしさを伝えることはできないでしょう。

なんだかよくわからなくなってしまいましたが、この先の世の中が不安でしょうがないですね。
一度、青年会議でも”外遊び”の研修しますか?
 

本当に大切なこと

 投稿者:makky  投稿日:2008年 1月31日(木)17時20分50秒
返信・引用
   先日、インターネット上で気になる記事を見つけました。

 「裁判員制度」の導入に伴い、ある中学校で、生徒たちに裁判を身近に感じてもらおうという趣旨で、みなさんも良くご存知の童話『三びきのこぶた』を題材に授業が行なわれたそうです。本当の裁判官も呼んで、裁判制度を学んだりしたあと、刑法に照らしあわせて、一番末のこぶたの行為について生徒同士で議論をしたのだそうです。

 なかなかおもしろい取り組みだなと思って読み始めたのですが、結果を見て「そんなバカな!」と思ってしまいました。みなさんはその話し合いの結論、どうなったと思いますか?

 「こぶたが湯を沸かした鍋はあまりに大きく不自然なので計画的な犯行」と殺人罪を主張する生徒もいれば「オオカミはこぶたを食べようとしているのだから正当防衛が成り立つ」と無罪を主張する生徒、それに対して「煮えたぎる湯の中でオオカミが出られないようにふたをしたのは防衛の程度を超える」と過剰防衛を主張する意見も・・・。こうした議論の末に、クラスの総意として出した結論は、なんと「こぶたには殺人罪を適用」だったというのです。多くの生徒が下した量刑は「懲役3年から5年」。さらに、裁判官が言うには「実際なら10年から15年のケース」だとか・・・。

 「冗談じゃない!」と思いませんか?一番末のこぶたは、二人の兄をオオカミに食べられているのです。次は自分が襲われる番だとわかっていて、執拗に襲ってくるオオカミを、機転を利かせて、何度も知恵で乗り切るのです。しかし、最後にはオオカミは、煙突から家の中にまで侵入しようとしたので、こぶたは大急ぎで大なべを火にかけ、オオカミを待ち受けて、落ちてきたところをなべで煮て反対に食べてしまうのです。そうしなければ、こぶたはこれから先、いつ自分が襲われるか心配で、安心して生きていけないではないですか。しかも、そうすることで二人の兄の仇をとったのです。これが、殺人罪なんて・・・。

 この『三びきのこぶた』のお話自体、絵本によっては、上の2匹のこぶたも逃げて助かるものや、最後にはオオカミも仲良くなってめでたし(?)などといったおかしな展開のものなどもあるので、実際授業に使われたのが、どの絵本だったのかまではわかりませんが、やはり納得のいかない結論です。実際こうなってくると、裁判員制度も怖いなという気さえしてきました。
 昔から伝えられてきた物語には、生きていくための知恵や勇気、 親切心や正直な心の大切さなど、子どもたちに伝えたいメッセージを教えてくれるものだと思います。そのお話から何を読み取るのかは、聞き手次第かもしれませんが、語り手が、いちいち教育的な説教を聞かせていては、せっかくの物語がつまらないものになってしまいます。そんなことをしなくても、昔話を繰り返し楽しみながら聴いているうちに、そのお話に込められたメッセージみたいなものはちゃんと子どもたちの心に、蓄積されていったのです。
 それが、いくら中学生を対象にしているとはいえ、昔話をこんな結論に導いてしまっていいのでしょうか?「意外性」という点で、注目はされるでしょうが、子どもたちの心にはいったい何が育つのでしょうか?不安になります。

 「子どものためを思ってかもしれないけど、子どものためになっていない」そんな気がしてなりません。単なる大人の満足でしかないのではないでしょうか。今の世の中、そんなことが本当に多くなっている気がします。

 NHKスペシャル「ドキドキ・ヒヤリで子どもは育つ ~遊具プロジェクトの挑戦~」をごらんになられた方もいらっしゃるかと思います。今、全国的に公園から子どもの遊具の撤去が進んでいます。一度事故が起きると、しっかりと原因の追求をすることもなく、同型の遊具がすぐに撤去されていき、いつのまにか、公園から遊具がなくなっていき、気がつけばガランとした何もない殺風景な公園になっているというのです。

 「子どもから“遊び”を奪ってはならない。大事なのは、“遊び”の中で“危険”を回避するすべを学ばせることだ。」と専門家や市民たちの共同プロジェクトがスタートし、「どうすればリスクを減らして、子どもたちの手に“遊び”を取り戻すことができるか」を、人間工学の研究者・医師・遊具メーカー・児童心理学者、そして市民らが一緒に考え、理想の遊具を作るという内容のものでした。

 その中で登場した横浜の川和保育園、その園庭の環境がとてもすばらしく、そこで遊ぶ子どもたちの表情も実に生き生きとしていました。ターザンロープに挑戦しながらも、あと一歩の勇気が出なくて、長い時間葛藤する5歳児の姿や、3歳児が高さ2,3メートルはあろうかという石垣登りに挑戦しながらも、登りきれずにずり落ちて、悔しくて泣いている姿。園長先生が「ケガがないようにという親の思いはよくわかります。でもそればかり気にしていては、子どもが本来持っている力まで摘み取ってしまうことになる。」「(やりたいけど、できないことで)自分で自分に憤りを感じて、悔しいって葛藤しながら泣いている姿はいいですね。」というようなことをおっしゃっておられましたが、まさにその通りだと思います。この川和保育園は以前から私も噂を耳にしていて、入園説明会で入園する子どもの保護者に「命までは取らないから、骨折ぐらいは我慢してください」というぐらいに、子どもの遊びにケガは付き物、小さなケガが大きなケガを防ぐ、子どもが本来持っている力、意欲を大事にという思いで真剣に取り組んでいらっしゃるということです。(直接聞いたわけではないのですが、それに近いニュアンスのことをおっしゃっているようです。)それぐらい大人が覚悟を決めなければ、今の子どもたちは健全に育たない。これは私も同じ思いです。

 話はそれますが、本当に大切なことというのは、どうしても目には見えにくいようです。というか、目に見えるようにすると、どこかおかしくなってしまうものなのかもしれません。

 今の子どもたちに無くなったものは“サンマ”だといわれています。サンマって何のことだかご存知ですか?サンマ=三間(仲間、空間、時間) なるほど!と思いませんか?

 子どもの遊びというのは、大人から見れば、実にくだらない、無駄な、あほらしいことの連続です。子ども自身だって、つまらないかもしれないし、ちょっとおもしろいかもしれない、ときどきそんな中から、我を忘れて熱中できるほどの「すごく楽しいこと」が見つかるときもある。そんな、とてつもない膨大な時間(大人には無駄に見える)をたっぷり過ごすなかで、子どもたちは本当に大切なものを自分で見つけ、身につけていくのだと思います。人間として成長していくために必要な根本の部分を育んでいくのです。それなのに、大人はどうしても何かしらの成果を求めたり、教育的配慮をしたりしてしまいがちです。それこそ、子どもたちから“サンマ”を奪っているのです。それが子どものためだと思い込み・・・。

 先ほどのNHKスペシャルのなかで紹介されたアンケート調査の結果も興味深いものでした。
   A群: 外遊び 1時間半以上 / テレビ 30分以下 (1日)
   B群: 外遊び 1時間半以下 / テレビ 3時間以上 (1日)
  「自分をダメな人間だと感じるか」という問いでA群の子どもたちは4.4%なのに対し、B群の子どもたちは、なんと5倍の22.2%、「生きているのがイヤだと感じるか」という問いでもA群は2.3%なのに対し、B群は6倍近い13.3%、「何もしたくないと思う」もA群が15.6%なのに対し、B群は3倍近い42.2%、他にも常にイライラするとか、むかつく、学校へ行きたくないなども明らかにB群の子どもたちの方が高い数値を示していたというのです。

 このデータからもわかるように、今の子どもたちは、もっともっと外で遊ばせる必要がありそうです。戸外に出て、自然のなかで体を動かしてあそび、自然に目を向ける体験をいっぱいすることが、子どもの世界を広げることにもなると思うのです。学力にしても、小さいときに自然のなかでたっぷり遊びこんだ子のほうが絶対伸びると思うのですが・・・。

 子どもの遊びは「悪」だという人もいます。悪=AKU(A:あぶないK:きたないU:うるさい)大人からみたらそんなものなのかもしれません。そんな子どもたち本来の姿をもっと大人が寛容な態度で受容していってあげなければ、今のいじめや引きこもり、その他もろもろの子どもたちの問題は解決しないような気がします。

 まもなく、年長児が卒園していきます。1年を振り返り、しっかりまとめをしなければと思いつつ、どうまとめてよいものか・・・。ただ、今の子どもたちの姿、表情を見る限り、私たちの思い以上に立派に育っているではありませんか。胸を張って「うちの卒園児です!」と小学校に送り出せる子どもたちばかりです。

 今後我々の地域でも園児数は減り、園の運営は厳しさを増していくことでしょう。そんな中でも、やはり、私たちの園は「本当に大切なものを見失ってはいけない」と心に誓い、私たちの進むべき道を歩み続けていきたいと思います。
 

(無題)

 投稿者:mizuhiro  投稿日:2008年 1月21日(月)14時57分29秒
返信・引用
  某福祉大学の総長が逮捕されましたね。
何やってんでしょう?
また、分厚い入学資料送ってくるんでしょうか?
 

「あなたはあなたのままでいい」

 投稿者:makky  投稿日:2008年 1月11日(金)09時24分16秒
返信・引用
   今の世の中、一番大切なのは、こんな言葉なのかもしれないと思います。

 日本は生きていくだけで息苦しさを感じませんか?と言って、私は外国に住んだ経験があるわけではないのですが、福祉先進国といわれる北欧の話を聞いたりすると、本当にうらやましく思います。40手前の働き盛りでこんなことを考えるのもどうかと思うのですが、「何でこんなにゆとりがないんだろう?もっと毎日をのんびり過ごしたいのに」と思うことが多くなってきました。年代にもよるのかもしれませんが、私自身、学歴社会、競争社会でもまれて育ってきて、そういったものが、すでに体に染み込んでしまっているようで、たまにゆっくりしようと思っても、何かしていないと落ち着かない、絶えず、誰かに評価されているのでは?と気を使っていて、なかなか自分を変えることができません。(忙しいのが一番の原因なのでしょうが・・・。)

 ですが、子どもたちには、特に保育園時代(欲を言えば小学生の間ぐらい)は、できるだけ、人と比べたりするのではなく、自分の好きなことをどんどんやってほしい。『何かをやりたい!」「何かが出来るようになりたい!」と思ったら、とことんそれにのめり込んでほしい。人がどうこうでなく、自分自身がどれだけがんばったか、自分ががんばって、以前よりも上手に出来るようになったとか、そういうことに満足感や、達成感を感じて欲しい。そして、そんな自分自身を好きになって欲しいと思います。


 いろんな研修に参加して、講師の先生方が言われることは、共通して「過度の競争社会は子どもたちを追い込んでしまう」ということ。そして、子どもたちを救う手立ては、「愛情」だということです。

 幼少期からひどい体罰を受けて育ったヒットラーは、のちにユダヤ人の大量虐殺を行いました。10年前に神戸で連続して殺人を犯した酒鬼薔薇少年も、幼いときから厳しい体罰を受けて育ったようです。きっと、親は「立派な大人に育って欲しい」と願って、厳しくしつけたのでしょうが、それが逆効果となってしまったのです。


 しかし、世界には、軽度発達障害を抱え、育ちにくさ、育てにくさがあったにもかかわらず、偉業を成し遂げた人たちも大勢います。

 エジソン・アインシュタイン・モーツアルト・坂本龍馬などは、今で言うADHD(注意欠陥・多動性障害)であっただろうと言われていますし、黒柳徹子、トム・クルーズはLD(学習障害)であったことを告白しています。また、マイクロソフトの創業者ビル・ゲイツや、織田信長などはAS(アスペルガー症候群)だったのではと噂されています。

 詳しくは、まだ私も勉強不足ですが、簡単に言うと、ADHDとは、注意力が散漫で集中力に欠け、そわそわ動き回ったり、人の話が聞けない、順番が待てない、すぐに忘れるなどが特徴で、LDは、読む、書く、計算する、聞く、話す、考えるなど特定のことが困難であったりするようです。色んなケースがあるようですが、例えば、俳優のトム・クルーズは、文章を読んでも意味が頭に入らない、覚えられないのだそうで、台本を人に読んでもらって、セリフを覚えるのだそうです。ASは、自閉症に近いのですが、知的な発達に遅れはありません。言葉の発達にも遅れはないのに、意味の理解が出来ていなかったり、人の気持ちを考えたりすることが難しく、コミュニケーションが苦手なのが特徴なのだそうです。


 これらのような特徴は、小さいときには多かれ少なかれ、誰にでもあるものですが、大きくなってもこうした特徴が続いてしまうのは、やはり脳の機能に障害があるのが原因らしいのです。ところが、知能の遅れがあるわけではないので、一般の人からは、「親のしつけのせい」のように見えてしまったり、「本人の努力が足りない」ように見えてしまったりするから誤解を招きやすいのです。


 こうした広汎性発達障害と呼ばれている障害を抱えている人たちでも、周りの環境が整えば、普通の人以上の能力を発揮できることを、前述の偉業を成し遂げた人たちが証明しています。


 そして、何より一番大切なことは、そうした人たちには共通して「無条件の愛で、丁寧に、根気よく、その人の成長を信じ、支える人たちがいた」ということです。


 学校を3ヶ月で退学し、父親からも見放されたエジソンを、彼の母親は根気よく、丁寧にかかわり、エジソンの「なぜ?なぜ?」にとことん付き合ったのだそうです。そのうちに、母親はエジソンに科学の才能があることを知り、自宅の地下室を実験室にして、エジソンに与えたそうです。さらに、彼女は「人間は人類のために努力して生きなければならない」ということをエジソンに熱心に教えました。

 後にエジソンは「母ほど自分を認め、信じてくれた人はいない。それなくしては、決して発明家としてやっていけなかった気がする」という言葉を残しています。


 「今のままじゃダメだ、もっとがんばれ!」と叱咤激励するよりも、「あなたはあなたのままでいい」と「認める」ことの方が、その人の「内側からの力を引き出す」ことにつながるのではないでしょうか。
 

(無題)

 投稿者:makky  投稿日:2008年 1月 9日(水)11時47分51秒
返信・引用
  「子ども」という時代をどうとらえるか?
 先日、10年ほど前に発行された保育者向けの雑誌を読み返していたところ、児童文学者の古田足日さんという方が書かれている「子どもが『今を十分に生きる』ことの意味」という文章が目に留まりました。全文掲載したいところでしたが、そういうわけにもいきませんので、内容を簡単にご紹介します。


「早く、早く」とブラブラ権
 “しかたしん”という児童文学者が、ある会報に、「芸術文化を享ける権利とブラブラ権」という題名の文章を書いていたそうで、そのなかに、日本人の家族連れの旅行者と付き合いのある外国人が、初めに覚える日本語は「ハヤク、ハヤク」だという話や、「子どもの権利条約三一条は、演劇、文学など、子どもの文化の享受権を規定した大事な項目だが、そこには同時に『休息及び余暇』についての規定がある。つまりブラブラとする権利である。子どもは、ブラブラぼんやりとしていていいのだ」という文章が載っていたということが紹介されていました。

 古田さん自身も、「早く、早く」「わかった?わかった?」「宿題やった?」とせかされる子どもたちを主人公にした本を何冊か書かれているそうですが、それぐらい、日本では(20~30年ぐらい前から)、子どもたちが「早く、早く」とせかされ続けているようです。


準備の子ども観
 なぜ、子どもたちがそんなに「早く、早く」とせかされるようになったかというと、一つは、わが国が「競争社会」であり、その「競争社会」のなかで、大人たちが、子ども時代を「大人になる準備の時代」としてしかとらえなくなってきていることが考えられます。

 子ども時代を「大人になる準備の時代」と考えてしまうと、「どんどん勉強をやれ」ということになります。「子どもが将来豊かに暮らせるためには、ある程度、今を犠牲にして勉強しなければならない」という考えになります。いい成績を取って、いい学校に入って、いい会社に入ると収入は豊かになると・・・。そういう考えがもとになって、子どもをせきたてることになったのではないかというのです。古田さんは、この考えを「準備の子ども観」と言っておられます。


子どもだからこその時期
 「今」という時間をどう考えるか。大人は、子どもの「今」を将来への準備と考えがちですが、「今」というのは、将来のためにだけあるわけじゃなく、それ自体かけがえのない時代で、ことに子どもにとってはそうなんじゃないか。子どもだからこそ、この時期を十分に生きるということが大切なのではないか。その「子どもだからこその時期」というのは、可能性がいっぱいあって、まだ定まってはいない。爆発しそうに自分の体いっぱいにそれが詰まっている時期。そして、「大人とは少し違った考え方、感じ方もすることができる時期」なのです。

 一方で、準備の子ども観は、「子どもは未熟だ」と見ることと重なっているのではないでしょうか。確かに、子どもにはいろいろ「できない」状態が多いわけです。ですから、それが「できる」ようになったとき、本当に子どもは喜びます。しかし、「発達」ということは、単に「できない」から「できる」ということなのでしょうか。実は、それは、ある面を伸ばして、ある面を捨てることでもあるのではないか?とも言っておられます。


「ママに会いたくて生まれてきた」
 幼稚園、保育園の子どものつぶやきを掲載した本のなかで紹介された、3歳の子どもの言葉
 「あのね、ママ。僕、どうして生まれてきたか知ってる?僕ね、ママに会いたくて生まれてきたんだよ。」
 こういう発想は大人には出来ません。「大人になる」ということと、「発達していく」ということは、実は「こういう感覚を失っていく」ということなのです。そうすると、その面で言ったら、「大人は退化している」わけです。こうした、「子ども性」とか、「子どもらしさ」というものを包み込んでの成長というものを考えなければならないのではないでしょうか?「子どもだからこそ持っているもの」を大切に考えたいのです。


子ども時代に子どもの特質を
 はじめに「ブラブラ権」のことを紹介しましたが、古田さんはむしろ、「ゆったり権」「道草権」という方がいいのではと言っています。大人は目的に向かってまっすぐ進むけど、子どもは途中でいろんなものに興味を示し、珍しいものに立ち止まってしまうものなのだと、そういう姿は、子どもの時期の一つの特質ではないか、そうしたことを子どもがもっと経験することが大切なのではないかと。つまり、「子どもとはそういうものだ」と思えばそんなに腹も立たないのではないかというわけです。
 そのほかにも、子どもの成長に必要なものとして、「友達を求める心」、「みんなと群れて遊ぼうとする欲望」、「好奇心」、「冒険家」、「一人で哲学的な命題を思索する態度」などなど、こうしたものを満たしていくことこそが、子どもの生活のあるべき姿だといっておられます。


生きている喜びの実感
 生きている喜びを実感するには、「自然と触れ合い、自然と関わり合って生きる」という直接体験が、幼い子どもの時代には相当大切です。
 そして、そうした体験を、現在では出来るだけ気をつけて意識的に作りださなければいけない。土を掘ったり、水と遊んだり、体を十分に動かすということ、これがとても大切で、そのなかで「生きている」ということを子どもも実感できるのです。小学校の高学年になれば、算数の難しい問題を解いたり、理科の実験などをやったりすることも、すごくおもしろいことになり、知的な操作や、知的なものによる体験も生きる喜びにつながっていきます。さらに絵本や芝居や、人形劇など、「いろんな物語を間接的に体験すること」にも生きている喜びがあるといいます。


保育園の可能性
 大人になっていく過程で、思春期など、すごく不安定になる時期があるものですが、そうした時期に「自分は自分なんだ」と自分を肯定的に見ることが出来るためには、幼い頃から、「無条件で成長を喜ばれた」という原体験みたいなものが、どれだけ蓄積されているかがすごく重要であり、付け加えるなら、成長を喜ばれたということだけでなく、「どれだけ自分自身が生きている喜びを実感し、積み重ねてきたか」ということも大事なのだそうです。
保育園というのはそういうことの出来る場、「今を十分に生きる」ということが実現できる場です。そこで子どもが、もっともっと可能性を発揮するということを追求していきたいと古田さんは言っておられるのです。



--------------------------------------------------------------------------------

 要約しすぎて、わかりにくいところもあったかもしれませんが、うちの園の考えていることがまさに表れている文章でしたので、ぜひとも紹介したかったのです。
 子ども時代は、「大人になるための準備期間」ではなく、その年齢、その年齢で、大切にすべきことは違うのだと思います。特に小学校に上がる前のこの幼児期には、「今」を心から楽しんでほしい。「生きるって楽しい」ということをしっかりと心に刻みつけ、いろんなものに「興味や関心、好奇心」を育み、そしてそれがさまざまな「意欲」へとつながっていってほしい。それと、「自分を大切に思う心」を育て、「人への思いやり」も持てる子どもに育ってほしいと願っているのです。



参考文献
子どもの文化研究所 『子どもの文化‘96年7+8月号 子どもの文化学校 理論+実践ミュージアム』
 

(無題)

 投稿者:go  投稿日:2007年12月27日(木)21時06分0秒
返信・引用
  僕は、現場にいるからでしょうか、
前者の論理はほとんどありません。
現場は後者だと思います。
偉そうなことは言えませんが、
1日過ごすことの大変さは
はかり知れません。
 

(無題)

 投稿者:mizuhiro  投稿日:2007年12月27日(木)15時52分26秒
返信・引用
  あくまでも、私見ですが、子育てしていない大人(かなり偏見)が予算組みをしているので、どうしても"子ども"より”大人"寄りになってしまうと思います。(それだけではないですが…。)

小子化といわれて数年経ちますが、数年後は「多老化」がプラスされるでしょう。
そして、今後、生まれてから大きな苦労もなく、ジャンクフードで育ち、飢えも経験していない私たちの世代の平均寿命がとても70歳を超えるとは思えません。
 団塊の世代の親子は共にあの世へ行くケースが増えることでしょう。
そして、納税者がぐんと減り、ますます予算は削られ…、あ~なんてくらい発想なんだ(反省)

なんだかんだいっても、”金”がかかることはわかっているんだから、今の子どもたちが親になった時に子どもが産みたいと思えるような世の中になってほしいです。

子ども観についていえば、将来「精神的に強く育てたい」・「身体的に強く育てたい」・「経済的に強く育てたい」など、いろいろな"親のかってな想い”によって育てられるから、いろんな価値観があるのはしょうがないのかな?と思う。
 

レンタル掲示板
/2